MarCalmaのtoccoです。
この題名の歌が好き。この歌とは関係ないですが、瞳について、思うこと。
先日、昔の知り合いに再会した。
私は、その彼女を見て、初めましての方と思った。一方、お相手は再会を喜んで、笑顔で手まで振られてしまった。
はて、誰だろう。。。。???
明らかに彼女は私を知っている。
でも、私はさっぱり思い出せなかった。
その直後、他の人から、絶対にその彼女のことを私が知っているはずだ、と言われた。焦った。私は、知り合った人の顔はよく覚えているほうだと自信があったからだ。
仕切り直しで、翌日、もう一度彼女の顔を思い出してみる。
あ。
やっと気づいた。
彼女の瞳が違っていたのだ。再会した時、彼女はカラコンをしていた。
今やカラコンは、瞳というパーツにかわいさをあともうひと盛りできる、オシャレアイテムだ。着ければ簡単に、黒目そのものを大きく見せたり、黒目の中を薄茶やグレーに見せたりできる。
一見かわいいのだけど、印象がみんなおんなじで人工的に見えてしまう…そう思うのは私だけなのかなぁ。
さらに、今回のことで、改めて気づいた。私が人を認識するときはその瞳を見つめ、誰かを思い出すときは、その瞳がどうだったかを記憶からたぐり寄せているのだ。
瞳は、人間の他のパーツ同様、みんな一人ひとり違う。わずかな差だけど、人はそれを個性として感じ取ることができるのだと思う。
きっと、その人工の瞳でなければ、その彼女と一緒に再会を喜べた可能性は高い。