MarCalmaのtoccoです。
苦い経験があるからこそ、甘い経験を心底感じられるんだなぁと思う。
日常の中での苦い経験…たとえば、理不尽な言動を投げつけられたり、疎外されたり、自分を軽んじられたり。
それによって、自分がそこにいてはいけないのだとか、ここからいっそ逃げ出したいとか、痛いほど感じる。または、憎しみや怒りなど、より激しい感情を生むこともある。
でも、そんな苦い経験や感情があるからこそ、自分に不意に訪れる甘い経験や楽しい経験を自分の器でせいいっぱい受け止めることができるのだ。
フラメンコは、遊牧民のロマの人達の歌・ギター・踊りだが、そのロマの人達はいろんな迫害を受けてきた。根源的なものや宿命的なものから経験する、悲しみや怒り、憎しみなど苦しい感情。シギリージャやソレアという曲種は、それらの感情を表現する。
ただ、その感情があるからこそ、アレグリアスやカンティーニャスのような、正反対のピーカン晴れのようなスコーンと楽しい曲種が生まれたのかなと思う。
人間は、感情のコントラストを痛烈に経験できる。フラメンコにはその痛烈さが表れる。
さて、私という器は、これまで生きてきた中で、苦い経験を受け止められるパートはとても大きくなって、とても頑丈になった。
一方、甘い経験を受け止める部分はそれに比べたらまだ小さいし、頼りない。よしんば受け止めても、ぐらついて、十分味わい尽くせなかったり。
これからは、甘い経験を受け止められる自分の器の部分をもっと頑丈に大きくしたい。
いつどこから甘い経験が飛び込んできても、どーんと来いと受け止めて、大切に抱きしめることができるように。