MarCalmaのtoccoです。
自分の声、好きですか?
小学生のとき、学校で合唱の時間があった。音楽の時間だけじゃなくても、何かイベントごとがあれば付随して。
私は、合唱の時間が嫌いだった。なぜなら、私はけして、主旋律を歌わせてもらえなかったからだ。声が低いから。
必ず、アルトという、女性の低音パートだった。
小学生の私は母に聞いた。
私はどうしてこんなに低い声なんだろうか、こんな声、嫌だ、と。
その時、母は、私の声をほめてくれた人を思い出させてくれた。同じ小学校の先生のことだった。
国語の時間、私が音読をすると、その先生はいつもとてもほめてくれた。
いい声ですね、それにはっきり読めていて、とても聞きやすいですよ、と。
でも、私は、合唱の時間に、主旋律を歌いたかった。
ただもともとの声が高いというだけで、主旋律を歌うことができるソプラノ担当のクラスメイト達は、嬉々としていて、まるで物語の主人公のように見えた。
そんなわけで、子ども時代は低い声に関してコンプレックスを抱いていた。が、学生時代終盤のある日、そのコンプレックスが劇的に小さくなった。
その道のプロの方に、自分の声質をほめていただいたのだ。
それ以来、自分の持ち味なんだと、自分でやっと認められるようになった。
日本では、女性は高い声が好まれるようだ。そのため、いい年の大人になってもなお、自分の声のコンプレックスがうずくことも。でも、これが私なのだから、いいじゃないか、と、ここ最近ようやく開き直れるようになった。
海外では、落ち着いた声の女性が多い。映画を見ると、吹き替えの日本語の女性の声は高いが、オリジナルの音声を聞くと、その女優さんの声は低かったりする。
それは、欧米に限らず、韓流ドラマでも当てはまっていたりする。日本受けするかわいらしさを持つ女優さんの声が意外に低くどっしりしていると、なんだかかっこいいなと感じる。